MAR72021

木の収穫 おしるこを食べる Harvesting trees Eating Oshiruko

木とラハウスで、初めてとなるワークショップっぽいことを開催した。

それがイベントであるのか、非日常的日常であるのか、境界線は人それぞれであり、曖昧だ。そもそも、主催している私たち「よしおかさんち」が、曖昧にしているのだろう。曖昧にする面白さの一つとして、一つの場と時を共有しているけれど、そこに集った人ひとりひとり、違うものを体験し、感じて考えているということがあると思う。そして、また各々が誰に指示されるでもなく、周りの出来事を受けながら、何かをし、その場を過ごす、ということが面白い。

しかし、自分の育ちなのか、世の中の固定概念的な雰囲気からか、「ちゃんと」しなければならないやら、「わかりやすく」しなければならない、とかということに自分の中でのせめぎあいのようなものがある。もう一度、なぜ「ちゃんと」とか「わかりやすく」」するべきと言ってるのか、根本を掘り返して見つめてもいいと思う。

今回は、奈良の明香村から久住(くすみ)一友さんという木こりさんに来ていただき、隣家に近い枯れた大木などを数本伐る活動をしていただいた。木こりさんに出会うのは、人生2回目。一人目は静岡県浜松市天竜の山のきこり前田さんという、しゃべれる木こりさんである。前田さんのTED

前田さんも、想像上にある木こりと重なった部分とそうじゃない印象であった。久住さんは「僕は、しゃべれない木こりです」と言っていたが、しゃべれない訳はありそうで、色んな事を考え、少しずつそれを生活で実践して、葛藤しながら生きている方なんだろうなぁ、と感じた。考える木こりさん、と呼びたい。うまくは書けないが、彼が木を伐る姿、表情、所作はとても美しかった。(その場にいたのに、私は◯ちゃんに付きっきりで、後で写真でしか見れず…また次の機会があるはず)そして、彼は講師代どころか、交通費さえ受け取ってくれなかった。その理由は、「こういう活動がひろがってくといいなー」というのと、「参加させてもらっているという認識。いち参加者として」とのこと。シビレルわ〜‼︎最近、お金のことを考えることがあって、やはりお金って身近だし、大切だし、生きている上で関わりのある事だからこそ、それに対しての自分の在り方というのは、一つの自分自身の表現方法もなりうるのだな、と実感した。

久住さんは、森ラボという活動もしているそうなので、今後も久住さんの活動に私も巻き込まれていきたいし、こちらからも巻き込んでいきたいな、と思った。渦潮やな。激しくもないし、干満の差もないかもだけど。

森ラボ

私も作品を作る上で、鑑賞者が表現者へとなる仕掛けを考えることがいつもあり、私の作品だけど、私は一鑑賞者でもある、というのが常にあるので、久住さんのように純潔さは、これっぽっちもないが、似たものを感じた。そしてこの、木とラハウスの在り方にピッタリだなぁとしみじみ思った。

参加人数は24名 (近隣のおじさんと彼が呼んだ警官2名を含む)