SEP72020

人の先天

長谷川豪氏の吉野杉の家に宿泊して帰ってきて、洗濯の山と向き合ったら、檜の香りが染み込んでいた。洗うべきなのに洗いたくないくらいの良い香り。こんな香りがする家いいなー。

 

◯ちゃんを産んだ生野区にあるmotherゆり助産所から頂いた、ねむの木さん。小さい葉っぱが出てきた。木になるのはまだまだかかりそうだ。

街路樹を植えておいて、交通の邪魔になるので切る予定を書いた紙が、近所の道路脇の大きな木すべてに貼ってあった。なんだかなー。切ってあと、どうなるのだろう。電話して聞いてみようかな。

してみた。

電話に出た人は最初何か責められるのか?と思ったのか、移植する、と言った。それで、え!?と驚いたら、待ってください、ということになり、チップなどにして資源として活用するとのことだった。ほーう。

なぜ植えるときに、成長した時のことを考えて植えていないのだろうか。

という、ふとした疑問。

ねむの木の小さな成長を日々見ていると、あんな大きな木を大量に切ってしまうのが、やっぱり心が痛む。偽善なのか、この自分の感情。と思ったりもするが、そういうことではなく、人という動物として、摂理として間違った行為という風に感じるのだ。たぶんこれは、生まれる前から染み込んでいる生き物としての筋!?のような感じ。だから電話に出た担当の人も思わず嘘を言ってしまったのだろうか。