APR172020

生き残りたいんじゃなくて、、、生きたいんだ 〜アクリル板越しの接吻〜

この不思議な世界でずーっと考え続けている。しかし、そんな考えている最中に、家の中の潜む4つの外界に、100回くらい中断させられるもんだから、何を?どこまで?考えてたのか、そもそもさっきまで考えていた事さえ何だったのか、忘れていく、というのを繰り返す毎日。

 

ジャックアタリという可愛いおじちゃんがテレビに出ていて、すごくズキュンと惚れた。なぜだろう。とにかくポジティブなことを私も考えたり、発したりしたい、しようと、強く思わされた。好きだ、アタリちゃん思考♡

 

まあそうさ、子育てだって、怒りスイッチONになっちゃうと、余計な事まで、何もかもネガティブなことばかり口走って、そうなるとどんどん家の中の空気がそれに引っ張られる。言い方とかもそう。常には難しいけど青さんのスキップみたいに軽やかに発言しつづけられたら、なんて素敵で、その周りにもその素敵が行き渡るんだろうな、と思う。

大好きな安住紳一郎の日曜天国でも流れていたが、コロナ対策のためアクリル板に囲まれて放送している。そんでお便りをくれた宝くじ売り場のリスナーが、いつもアクリル板越しで仕事しているけど、アクリル板があると、感情を7割増しとかにしないと、ちょうど良くないとかそういう内容で。そうか、じゃあ悪態を吐きそうになったときにマスク越しに言えば、30%の悪意しか伝わらなくて済むかもしれない。いや、マスクだとアクリル板より透ってる感じだから、60%くらいの悪意は伝わっちゃうかもな。私のような感情の起伏が激しい人には、つねにアクリル板が必要だろうな。

 

さて、なんで自然の中に身を置きたい。自然が多いところで暮らしたい。と、多くの人は思うのだろうか。多くの人が思ってるのかどうかは定かではないが、私は思ったりする。なんでだろう。

考えてて、色々答えが細々と思いついた。

自然って、人間が認識するには複雑すぎるから、それに取り囲まれた時点で、なんでも認識したいと思う人の自動的な機能がoffになるんじゃないか。てことは、大自然であればあるほど「無」に近い状態になるみたいな。でも、人間がちょろっと作ったような偽自然な物は認識できちゃったりしそうになるので、そうはなれない。

佐渡島に移住した友達が言ってたけど、田舎に住むと、都会の「人」で出来上がってる歯車感がないから、すごく心が楽だそうだ。人のせいより、自然のせいで、思い通りにならないことが多いから。そうなると、仕方がないって、なる。死ぬのも当たり前のこと。だから「田舎の人」と「都会の人」って振り分けは、その根本の考え方で決まるのかもね。となると、うちのタピちゃん(夫)は田舎人である。私は都会人である。もうちょっとちゃんと書くと、感受性が豊か過ぎて生きにくい都会人なワタシっていう前書きがある。それと、鈍感な自分大好き田舎人タピって前書きもある。

 

ノンアルコールワインをベビーカーに積み、昼間、大阪城公演を2時間ほど歩いて来た。2回ずつ、1時間前にすれ違った濃厚ラヴラヴなカップルたちとすれ違っていく。おばちゃんの二人組(いや、私ももうおばちゃんなんですが、先輩おばちゃんって感じのおばちゃん)が私がワインを飲みながらベビーカーを押して歩いているので、通り過ぎたのに、振り返ってまでこちらを凝視していた。ははは、彼女たちの心の声を聞きたい。

ロッコの駅でたまたま出会い、イギリスの美術館で偶然に再会したことがあるAちゃんが、私のブログを愛読してくれていることを知り、とても嬉しく思った。私は中学生の頃、ブログを始めて、いつも自分のために書いてきた。それをただ公開しているだけ。なのでたまにものすごい公開していいの?ってこと書いてるかもだけど、カーテンを着けずに丸見えにすることで、自分自身と家族を守ってる、とかっこつけて言うことにする。そう、オランダの家方式である。とにかくそのAさんが、私への愛と以前の仕事がワイン関係ということでご友人が美味しいノンアルワイン輸入してくれているということで、なんと私にプレゼントに送ってくれるという。読者プレゼント係の逆バージョンや。たまらん。

 

ピクサーの映画「ウォーリー」を再び観てみた。

Zoom飲み会は、どう進化していくのか妄想してたら、やっぱり集いたいという風潮になって、ドライブシアターみたいに車で集まって、フロントガラス越しに、5、6台向かい合って、飲むとか。あ、飲酒運転になるか。てことは、自動運転か!とか考えてたら、ウォーリーの時に出てきた、一人ひとり乗っていた乗り物を思い出した。そうだね、あれが未来だ。そしてその先の未来は?と見せてくれるのが、ウォーリーという映画だ。映画って大勢の人が一生懸命力と知恵を絞って作られているから、ものすごい妄想力の塊で、感染病「コンテイジョン」という映画見たら、映像の美しいドキュメンタリーみている感覚に陥り、ものすごいタイムリーなリアルでとても精神的に参ってもうた。

そうそう、ウォーリーの話。人間の止まらぬ欲望ってのが「生きたい」という言葉にこもってる気がする。「生き残る」をさんざんしてくると、残らんくてもいいから、生きる活動をしたいということになるのね。まあそのためには残らないとできないんだけどね。ロボットも個性があって、予想不可能な動きをするものほど人間らしい。ロボットとしては優秀では無いが、魅力があるのだろう。

私はこの前の晩、心がいっぱいいっぱいになって、タピに

「私の大変さは、誰にもわからない。私は、大変なんだ。かわいい0歳、3歳の悪ガキ、4年の学習障害の泣き虫をノンストップでずーーーーーーーーっとお世話しつづけている。一人でも二人でもなく、大変な組み合わせの3人なの!それをただ淡々に作業として、ずーーーっとしつづけていればいいのかもしれないけど、大変なの!だって私は欲で溢れているから〜!うぇ〜〜〜〜ん」

と泣いた。タピは

「そう!そうなんだよ!さえちゃんはよくわかってるな〜。欲で溢れてるからね、しょうがないよね」

って。。。

あぁ、人間だもの。

母としても妻としても娘としても社会の一人としても、自分自身にとっても優秀ではないけど、何かにとっては魅力的でありますように。